幸福とはなんだろうね?
学生の1983年にバイクで北海道を旅して、幸福駅を訪ねた事がある。その後廃線になったが幸福行き切符を買ったが、どこに行ったのだろうか?
人々は幸福を追い求めるようである!
知り合いが、こんな本を紹介してくれた。まだ手にしておらず読んでいない。
精神科医が書いたようで、タイトルは面白い。昔から3、7、10などの数字は人の目を引く効果絶大である。
脳内物質を引用して、幸福の感情を分類して解説しているようである。
神経伝達物質名などのカタカナを言われると説得力が増すのだろう。
そこでテラスでベットに横になって幸福を考えてみた。
まず幸福は最初に、自身が感じる感情の一種である。心が満ち足りた状態らしい!
ここで問題は心である、心とは知識、意志、感情などの精神的な物と言われている。
私は現時点では幸福である。理由は以下によるからだ!
1、朝ご飯にトースト、ヨーグルト、目玉焼きにサラダを食べて満足している。
2、テラスは陽が差して暖かく心地良い。
この二つの要因で幸福だと感じています。殆どが生きていくための食事と安全な棲家と自然環境で生きている事に幸福感を感じているようである。
人間は3000年以上前から文化を作り、文明を構築した。物質的に豊かな暮らしが手に入った。
今の安らかな暮らしが手に入ると、未来も豊かな暮らしを夢見るし、望むものである。
仏教で言う業が生じる。欲とも、煩悩とも言う。
しかし、業により人間は苦しめられる。欲が満たされて無いと悲しみ、将来の生活に不安を感じる。
欲を持つと、他人と自分を比べる事になる。他人に勝れば安心して、劣れば自身を卑下する。
文明が作り出した社会では、他人との共生が求められる。そこで道徳が生まれ、世間の目を気にして生きる事になる。
これがまた、人を苦しめる事になるようである。特に日本は協調性を強く求められるからね。
社会での自身の存在を、他人の評価から構築してしまうためである。
そして、自身の生きる意味を考える。自身の価値を他人から肯定してもらいたいようである。
自身が生きている意味は何も無い、空であると考えれば気軽である。禅の教えである!
文化も文明も道徳も科学も全て受け入れて、その全てを空として生きれば良いらしい。
人間は必ず死を迎えるし、寿命は自身で決められない。腹が減れば食べる、喉が渇けば水を飲む、そして寿命まで生きる。
今を生きている事に幸福感を持つ事である。
文明が豊かにした生活は、人間が作り出した社会、道徳により、煩悩をより明確にして人を苦しめているのかもしれない。
現代の社会では心の在り方が問われている。
欲が満たされる人々は幸福で、満たされない人々は不幸せなのか?
「今日の瞬間を生きている幸せに、気がつく瞬間が幸福だと思う。」
今日も生きてる。