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金閣寺の感想

三島由紀夫 金閣寺の感想

彼の表現したかったのは人間の愛に関してだと感じた、三島が表現したかった愛を私なりの分析を紹介します。
家庭を持つ身のおとうさんとしてはどうしても家族愛に関しての分析になってしまいます。もし仮に中学、高校、大学と年齢が若い時期に金閣寺を読んでいたらどう感じたかは非常に興味があります。次男(中三)が夏休みの課題図書で読んでいるので彼の感想も近い内に紹介したいと思います。

主人公への父親からの愛
彼の父親は小さな寺の住職という立場上、主人公の小さいころから将来を考えて愛を持って育てているように読み始めはじめは感じたが、彼の父から得た愛情は、自分自身得への愛情ではなく、父が達成できなかった夢に対しての感情であった。自分がなし得なかった夢をわが子に実行させることが彼の愛情の対象であり、その為の子供であるように感じる。
父の夢は金閣寺の住職とうい名誉か権力だったのかもしれない。そのため、住職がどれほど醜く、陳腐な物かを三島は好色な豚として金閣寺の住職を表現している。
父の夢は子供の心に美化されて彼の真相心理に入り込み美化されてしまう結果になった、主人公は物心がつく頃には、父の愛は自分への愛ではなく金閣寺への思いだと感じることが痛ましい。主人公はこの心の傷をだれにも見せることなく成長していくことに読者が嫌悪感をいだく理由だと思います。

主人公への母親からの愛
母親の性格を示すくだりはあまりにも少ないが、彼女が子供を愛していないことは容易に読み取ることができる。まず蚊帳で寝ている場面で、父は子供の目を隠くすくだりがある。家族の前で他人を受け入れる異常性を三島は夏の夜、蚊帳、子供の目を隠す行為で見事に表現した。さらにその場面では仏門に使える父の寛大な愛をも表現している点は計算しつくされている。まさに見事としか言いようがないです。
この場面により、母は本当に人を愛することが出来ず、他人からの愛を受け入れることがすべてであったのではなかろうか。そんな哀れな女を寛大な気持ちで愛を注ぎ続ける父を子供はどうみていたのだろうか?
子供のこと(自分の夢)を考えて、子供をおじの家で育てさせる決断をした父はこの点では正常である。しかし、すでに子供のときにみた母親の弱さ、醜さをすべての女性が同じ本性をもつと感じてしまう結果になったのであろう。最も必要な母からの愛情を得ることなく成長した主人公は結果として、彼は女性に対して心を開いて愛することは出来ない人間になったのではないかと分析する。

そんな恐ろしい女性でさえも、心の隙間に入り込んだ男性により操られることを足の不自由な友人から教えられることになる。
ここでの葛藤は、人間の心の隙間にはあらゆるものが入り込み、その人を操ろうとしているそれが女と男しか居ないのが現実である。しかし、主人公はその理論は成り立つことは無かった、かれの心には別の次元にあり、父が彼の心に構築した金閣寺があるからだ。
主人公は自分の愛情を人にむけることは出来ない心になっていた、しかし、遊女に対して初めて愛を感じることができたのは、唯一この本での人間は必ず救われることを示したのだと読み取りました。
彼は金閣寺を焼くことで、自分の心に宿る闇の部分を消し去ろうとした。その行為に及ばなければ主人公は父と母を殺すことを選択したのではないかと感じている。
現在、子供が両親を殺害する事件をよく耳にするが、この物語と同じことが現実に起こり事件発展したのではないかと思います。事件を起こした子供たちにの心に金閣寺があれば人が死ぬことは無いが、京都の寺院は大変なことになりますね!
我が家の子供たちに与えたつもりになっている愛情に疑問を持つような衝撃を感じたことはいうまでもない。
金閣寺は歪んだ家族愛を表現した作品だと感じました。