Una strada

YAMAHA XTが大好き❣️ 元空

家族と生命の尊さ

アメリカ、日本のNewsで痛ましい事件が報道されている。

アメリカの大学での事件は、これまで最大の数の尊い命が一度に失われたこともあり大変ショックでした。私以上に大学の学生及び関係者の皆様は心の痛みに耐えかねていると思います。

追悼集会を学生達が開催して、その中でこの事件から力をあわせて立ち直ろうとしている
行動力をABCニースの特集で見ました、学生、職員、市民が追悼集会に参加して、そのなかで言われたコメントで共感した事があります。

それは『我々は家族である、力をあわせてこの事件を乗る越えよう!』と大学生が話していた。

人間の生活は科学の進歩で、豊かになりました。しかし、便利になったおかげで人と人が直接言葉を交わすことが少なくなったのでしょうか?
我が家の倅たちも、パソコンのゲームのなかでは人の命をいとも簡単に扱ている、理解していると思いますがこれは非現実の世界です。しかし、なんらかの要因で、自分を見失いそうになり現実と非現実が見分けられなくなることが人間にはあると思いいます。

現実の世界でも人との命の尊さを時として忘れることがある。その時こそ、それを諭したり、救いの手を差し伸べて上げられるのは家族なのでしょう。

電話、E-mailでもコミュニケーションは取れるが、話している人の表情や雰囲気から、言葉の向こう側にある悩みを察することでさらに良い意思疎通が構築されると感じて言います。

トーマスハリスの書いた、レットドラゴンでは幼いころからの境遇で、強くなりたい思う孤独な男が自分の心の中の非現実の世界で強さの象徴としてドラゴンを作り上げる、やがて自分の人格とドラゴンの人格が現実世界でも共存してしまい。殺人を繰り返すという話ですが、

今回の事件も容疑者の心には過激な暴力的な人格が非現実の世界に存在していた。その人格が現実世界でも銃という力をもって行動してしまったのだと思います。

彼の心の痛みに気が付いてあげられなかった、家族の無念さを考えると悲しみは想像を絶するものがあります。
さらに、命を失った学生、先生の無念さ、ご家族の悲しみもまた想像を絶するものでしょう。

心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌