山間部に暮らしていると、音楽やTVからの音がないと落ち着かなと感じていた。
TVや音楽が流れていた方が寂しくない。一人暮らしなので誰も話しかけてくれない。
子供の頃は両親や祖母が生活していて話しかけて来る。
学生時代は松崎寮で友達が、家族が居ると外部からの音の刺激に溢れていた。
人間が家族、集団で暮らして来た遺伝子よるものなのか、単独で暮らす事を拒否する表れかもしれないね。
都会では夜も、道路を車が走る音が聞こえる。繁華街ではお店からの音に溢れている。
人間の群れの中にいる安心感という感情かもしれない。
ここ徳島の山間部では目を閉じて瞑想していると、川の流れる音、虫の鳴き声が音の刺激として聞こえて来る。一番大きな音は自身の呼吸のする音である。
これまで私が生きていた環境が音の刺激に溢れていた事に初めて気がついた。
音に溢れた世界で暮らしていると、自然界の音に鈍感いなる。
風の音、川の音も海の音も、虫や鳥の鳴き声に鈍感である。
逆に、音楽や人の声を音として聴いていると安心するのかもしれない。
自然の音だけの空間で夜の過ごすのは贅沢な時間である。もちろん、この場所で瞑想するのには最高であると気がついた。
優雅な時間が此処にはある事を再認識した。
今日も生きてる。