かつて鍋島藩の藩窯あったところにやっと、たどり着いた。
有田、伊万里、長崎周辺で作られた磁器を有田焼と言うらしい!
鍋島焼は鍋島藩が藩窯を持ち陶工を抱えて作った磁器で市場には出なかったらしい。
今回の訪問で磁器の材料である岩を水の力で砕く水車を見れた。昭和40年ぐらいなではこの地域では沢山見れたらしい。
鍋島焼は磁器なので
原料の岩を砕き
轆轤を回し成形
乾燥と下焼
絵ずけ
窯入れ、窯出し
と作業工程が多いので沢山の陶工がここで暮らしていたらしい。
朝鮮から陶工を呼び寄せて始まったので
16世紀遡って韓国に賠償金を請求されるかもしれない。
中国の磁器を真似して作り始め
江戸時代には海外に輸出されてる!
日本の焼き物で海外で認知されているのは有田焼なのだろう。
中国がイギリスに統治されて、オランダは磁器を中国から買えない時期があり、その代替え品として日本の有田焼が海外で広まったと推測している。
海外でではツボ、絵皿など装飾品として
国内ではお香を焚く、茶器なのか?
実用品ではない事は確かである。
焼き物旅も、自然釉に始まり、備前焼、黄瀬戸、黒瀬戸、灰志野、萩焼、そして磁器 鍋島焼で最後である。
穴窯で陶器を焼き始め
中国の磁器に追いつこうと努力して!
世界に花開いた伊万里焼。
あらためて思う事は、日本独自の陶器はやはり自然釉や備前焼だと思う。
近い将来は世界的に見直されると思う。
穴窯による焼き物の良さがね!
今日も生きてる。