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窯を訪ねる旅 萩焼編

宮島から下関を目指している時に気がついた!

6古窯では無いが山口には萩焼があったヨ。

急遽、萩市へ行くことにした。

 

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吉田松陰もこの景色を眺めたのだろう!

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萩焼は16世紀に毛利が朝鮮から陶芸家を連れて来て登り窯で焼き物を始めたらしい!

藩が窯を直属で運営してたらしい、よって茶の湯で使う道具が作られ嗜好品が主だったと思う。

 


予想では自然釉では無く、釉薬による茶器らしいが、釉薬の配合に工夫があり独特にヒビが表面に施す焼き物らしい!

 


長州藩の毛利が朝鮮から陶芸家を呼びお抱えの窯で陶芸を始め

明治になるまで萩焼とは呼ばれずに松本焼と称された!窯が城下の松本地域にあったため。

江戸時代には藩の贈答品として活用され、市場に販売される事は無かった。

特徴は赤みがかったピンク色の色合いで、安土桃山時代にはこの色は重宝されたらしい。

これは土の色で、萩の土ではない!

陶器は主に茶器の茶碗が作られた!


当時の陶器は各藩の大名、将軍への献上品、商人へに褒美に使われただけで流通量が少なく知られる事は無かった。

 

残念ながら古萩焼は見れなかった!

しかし萩マラソンは見たよ

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陶芸家を藩が抱える事は有ったが、禄を与えて窯を与えていたのは萩焼長州藩と鍋島焼の鍋島藩の二つだったらしい!有田は民間の陶芸も有ったので広く知られる事になる。

 


現代の萩焼はいろんな形状の陶器を作ってる。

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萩城跡の近くにある窯元の親父さんが説明してくれた、昭和の初期からここに登りがを作って陶芸してるらしい。

 

12月なのに温暖な気候の萩が好きになった。

日本海の静かでいい感じだった。

私が縄文人なら九州から山口までに住むと思う。

当時は年間の気候が住むための重要性があったと思う。車中泊の旅で気がついた。

 

有田焼では鍋島焼に注目だ!

 

 

今日も生きてる。