冒険家に会って感じた事
私が二十歳の頃は冒険に憧れていた。当時はパリダカールラリーが注目されており、フランス🇫🇷パリからアフリカのダカールまでバイクで走る事を夢見て憧れていた。
オフロードバイクで関東周辺の林道を走り、学生最後の夏休みは北海道ツーリングにも出かけ、富士山も浅間神社から5合目まで登山道を走った。80年代はオフロードブームでもあり、バイクや四輪駆動車が自然を荒らし始めた時期である。
富士山に走りに行ってパリダカに挑戦している中年男性(金子氏)に巡り逢った、彼はホンダのXR200に登山用の40L以上のザックを背負って走っていた。中には砂が20kg入っていると言っていた。パリダカの練習していると言って、砂漠の砂の入った瓶を貰ったことを覚えている。
翌年の正月に彼はパリからアフリカに渡るリエゾン区間で飲酒運転の車と衝突して亡くなるったら事を新聞で知った。
今回、師匠のレストハウスに風間深志さんが訪れた。彼は冒険家としてバイクでキリマンジェロに登ったり、パリダカを完走している憧れのバイク乗りだった。
私は62歳になり今だに、パリダカの夢は現実の物にはなっていない。月日は流れパリダカも形を変えている様である。しかし、若い頃の夢は私の中では変わっていない。
私の様な老人は沢山いて、お金と時間を持て余した夢に憧れる年老いた若者に、
風間さんは冒険もどきのイベントを提供している様である。
日本の最北端 稚内の岬から最南端 佐多岬まで2800kmをバイクて走るイベントである。
我々の様にパリダカに憧れた年代には、ラリーの様で心がくすぐられる。まさに冒険の扉が開いた錯覚に落ちいる。
しかし
日本には砂漠もなければ、国境越えもない、安全の確保された地域を走る、ガソリンスタンド、コンビニ、食堂、旅館もある、冷静に考えれば、ただのツーリングである。
このイベントにお金を払って参加するのは少しだけ抵抗がある。
参加されている方々は十分に趣旨を理解して参加しているので私がとやかく言うものではない。
憧れの風間さんはとても良い人だった、冒険の話は面白かった、彼の魅力で沢山の人が集まった。
彼は人間性豊かな男だと思ったよ!
稚内から鹿児島まで彼も一緒に旅して、朝は参加者のスタートの旗を振っていた。
その姿は、パリダカのテリーザビーネに見えたよ!(パリダカラリーを始めた人)
風間さんは若い頃の夢を持った老人たちに冒険の夢を見せている。
私の感じたことは、彼は寂しそうである。
年老いた冒険家が夢に憧れる老人を騙している罪悪感からなのか?不思議である!
冒険の扉は、他人に開けてもらうものではなく、自ら見つけて、開く事が肝である。
その事を知っている年老いた冒険家は、罪悪感を持っていると、私は感じた。
でも、
最後の走者としてスーパー林道をバイクで走り出す風間さんの後ろ姿は、
歳を感じさせないオーラが出ていた!
冒険の扉は、己の心の中にある。見つけるのはあなた、開くのはあなたである。
今日も生きてる。 元空