鈴木さんの無心とはを読み直していて気がついた事
念である、念とは漢字の形が示す様に心に今あるものである。今という漢字には時間軸を示す状態の意味と、囲い込むとの意味もあるらしい。今も自身の心に囲い込んでる思いを念と言うのだろう。
仏教では有念と無念を解いている、心に思案を置かない、心に念を置かないことを無念として悟りの境地である。無念無想という!
この反対語で心に自身の思案を起き、念を持つことは自身の欲を心に閉じ込めた状態を有念と言う。
有念は心が欲の思案に支配された状態である。邪念、怨念、残念、念書、執念
私は言語学者ではないが、現在の日本語では有念から派生した意味が念に持たされ、無念の意味も残念に近づいたのではなかろうか?
言葉とは生きものである!本来の意味を理解して口にしたい、そして 本来の意味で使いたいものである。
余談ではあるが、徳島ではしつこい人を「ネバイ」というらしい。粘ちゃくから派生したのかと思っていたが、念がつよいとか、心に念があるから派生したのかと思ったりする。
念とはあまり良い意味はないね!
心には何も置かずに、風通しの良い状態にして、楽に生きたいものである。これが無念であり無心であると気がついた。
今日も生きてる。