相変らず四国は梅雨空でお日様はお会いできない。山間部では梅雨はカビとの共存である。
革ジャンがカビてる、来週晴れたら天日干ししないとね。
外で遊べない時は頭の中で遊ぶ、梅雨なので哲学を考えてみたよ!
哲学 ヒトは何をお求て生きるのか? ヒトはなぜ生きるのか?
ヒトは生きる目的を探している、ヒトは死ぬまで生きる。死んでないから生きている。
私が思うに、
ヒトは死んでいないから生きている訳である。だから心臓が動き、血液が循環し、身体を動かすことができる。
文明社会ではヒトに生きている間に価値を強要する、集団である社会はヒトそれぞれの価値があると位置付けたいのである。
しかし、冒頭に書いた様に死んでいないから生きているだけの事なので他人から価値を強要される事は大きなお世話である。
そこで集団で暮らす社会では秩序とか道徳とか法律とかの決まり事を作って人の姿を定義している様である。
この定義に逸脱するヒトは罰を与えられる、行動を制限され、規則に従う様に指導される。
でも人の生きてる理由が死んでいないからと言う事なら、これもまた大きなお世話である。
幼少期のヒント
偉い人になれと小学生の頃に周りから言われてきた。偉い人の例を学校では伝記なのど本を読無事を推奨して教えてくれた。
私はこの様は本は読んだことのないので、具体的に偉い人の偉い理由を知らなくして成長した。
もしも、私も幼少期に影響を受けていたら人生は変わったのだろうか?
普通のヒトはどの様な偉人の伝記を読んで幼少期に影響を受けて成長したのか今にして気になる。
ヒトの哲学を構成する要因として幼少期に受けた影響はどの様に作用するのか!
アイデンティティとは
アクション映画のタイトルとしては理解しているが、この言葉の意味を知らない。
自己同一性と訳されて、自分が何者なのかと言う概念らしい。
この言葉の提唱者はエリクソンという人で精神分析家でヒトの成長段階を分類したり現代の学校教育課程に彼の考えが多く取り入れられているらしい。
ここで考えたいのが、彼の思考が形成された過程と彼の思想を上手く利用しようと考えた社会の存在である。彼の考えた発達段階モデルは社会において都合がいい物だったと思う。
その理由をは、小学校、中学、高校までの発達段階の課程で習得すること、精神状態を明確化出来たからである。
この時期に習得しなかったヒトは学校社会の中では落ちこぼれるか?発達障害とみられたのかな?
青年期までアイデンティティを理解して、人生の方向性を持たせるのは現代の社会では生産性を最大にするための最大の効果があった。
これは社会主義も資本主義も同様であり経済的に価値のあることだった。
しかし、アイデンティティは人生を語る哲学の様な物で、様々な多種多様な物で青年期に獲得できるほど優しくないと私は思う。
正に心臓が止まり、脳の活動が停止して初めて会得できる悟りのようなものだと思います。
エリクソンの発達段階モデルにより不幸になったヒトは沢山いたんじゃないのかな?
逆を言えば、彼のおかげで生産性の高い経済社会を構築する教育方針ができた事は否定しないよ!
結論
私は62歳になった今日も、アイデンティティは見えてこない、これまでの時間を後悔もしない。
命ある時間は、息をして空気を肺に入れて、ガス交換して酸素をヘモクロビンで身体に循環させる。
美味しい物を食べて、タンパク質、糖質、炭水化物から体に必要な栄養分を吸収して、ミトコンドリアでエネルギー代謝する。
煩悩のまま色々な場所を訪れて、喜怒哀楽を味わい、記憶の海馬に書き込んんで、睡眠中に面白い夢を見る。
時折、脳と心を瞑想で切り離して無心の境地を味わい。
命ある間に、智の領域を体験する。生きてるだけで丸儲け!
今日も生きてる。 元空