昨夜から雨が降ってる☔️、家の前の谷には霧、雲が流れては消えていく。
TV📺を観ないので時間があるので、今朝は瞑想の後にテラスで雲を見ることにした。
肌寒いけど眺めてみた!
文字、文章には言語による共通の意味を持っている。
その共通の意味が常識であり概念を形成して、文化まで広がるからね。
しかし
水蒸気から生じる霧や雲は、観る人が自由に想像、妄想して意味を持てる自由がある。
この雲は時として、龍に見えるし🐉、獅子にも🦁見える。
まあこの点が、雲は雲にあらずで、ただ雲である。
と言うわけだ!少しだけ禅が身についてきた。
最近は山間部の僻地が、とてもにぎやかな所に感じてならない。
目の前の杉の山、庭木の松、飛び交う鳥、🦅、舞う虫
昨日は暖かくトカゲが🦎が這うのを見ていた。
引っ越してきた当時は、寂しい場所だと感じていたから不思議である。
人間の適応性か?多様性か?
なぜにぎやかに感じるかは今は説明できないけどね。そのうち明確に感じられるのか。
まさに『タタター』である。
今日も生きてる。