都会では興奮しない

80年代に新入社員で働き始めた会社は千代田区一番町にあった。当時日本テレビは麹町にあり、毎朝、麹町駅からテレビ局のビルを見ながら会社に通勤していた。時にはTVの中継やバラエティーの撮影をテレビ局の駐車場でしていた事を覚えている、


医療機器の輸入販売する会社で300人規模だったと思う。主力機器は自動血球計算機でアメリカのマイアミにある企業の製品であった。私は地方の三流工業大学を卒業していたので主流の営業1部には配属されず、理化学機器を扱う売り上げの小さい、会社としてはお荷物の営業2部に配属された。

この事が、私の将来には大きく影響する事になった。22歳の若者は東京の真ん中で働ける事だけで嬉しかった。不安もあったが都会という場所への憧れと、環境の変化が脳内の興奮成分を分泌させていたのだと思う。

 


職種はセールスエンジニアと称して、器械の納品、取り扱い説明、トラブル対応で、主に大学の研究室、国立の研究機関、民間の研究所を顧客を訪問して行う事だった。

先輩と日産ブルーバードのバンを日程を調整して使った、私の配属された東京営業2部は静岡から青森までテリトリーとしていたので、関東圏は営業車で周り、それ以外は鉄道を使った出張でカバーしていた。

 


首都圏にある大学、研究所の位置関係と道路事情はこの会社に11年間、営業車で回ったので覚える事ができた。当時はGoogle Mapは無いので、県別の地図で住所から調べる事も覚えた。

 


初めて、東京大学に納品に営業車で行く時には手こずった、都内は一方通行と右折禁止が多くて、当時の地図にはそんな事は記載されていなかった。東大の敷地は見えているがたどり着けずに本郷近辺をグルグル回った。グルグルマップである!

 


ゆえに、都内での展示会は晴海の国際展示場なので、麹町から国会議事堂、皇居を横目に銀座を通って勝鬨橋築地市場を見ながら営業車を走らせた。

 


昨日は自宅の川越から高速を使わずに有明フェリーターミナルまで車で走ってみたよ

築地市場は閉鎖され有明まで道ができてだいぶ様変わりしていた。

銀座の三愛の交差点の人の多さに驚き、歌舞伎座が綺麗になっていたの再び驚いた!

35年前には、こんな東京に、都会に憧れていたのかと思って、ハンドルを握りながら笑ってしまった。

 


人生の下り坂の男には都会では脳内のホルモン物は分泌されないようです。

 


今日も生きてる!