私は62歳になった、なりたくてなったわけでは無いが、生きていればいずれ訪れる時間経過です。
幸せにも私は62年間生きているわけです!
誕生日を迎えて変わった事は何も無い!
悟りも開けなければ、煩悩が消えてもいない。変わった事は63歳に向かって時間が進んでいる事だけだ。
今思えば、62年は一瞬で過ぎ去って時は流れている。まさに諸行無常である!
これは無心で生きている事は、実際の年齢とか誕生日とは一瞬で消え去るもので執着しない、
何にも気の止めない事だとわかったよ。
家の前の梅が咲いている。先週に訪ねた、大分の臼杵城の梅も咲いていた、まだ真冬であるが梅は咲いている。
私が生まれた、1962年1月にも梅の花が咲いていたかと思うと、侘び寂びを感じたよ。
寒くても🌸咲く、人に媚びることもなければ、梅の生き方に従って花を開き、散っていく。
梅の花も何も気に留めずに咲いているわけである。これは無心である!
生きているから梅は花を咲かせる、花は🌸咲く、そして散る。侘び寂びを知ったよ。
私は無心にはなかなか成れない、今年は何処に旅したいし、オートバイも乗りたい、車中泊もしたければキャンプも楽しみたい。そのために950ccのV型2気筒エンジンのバイクにも乗りたい!
ツーリングするのにdispalyオーディオが欲しい!ブーツが古くなったのでオフロードブーツも欲しい、
LS2のヘルメットもね!渓流釣りしてデカい魚を釣りたいし、新緑の川でFLY fishingしたい!
こんな煩悩が頭に溢れている。欲しい物を手に入れて、訪ねたい場所に旅して、煩悩から派生する欲が満たされると満足して幸せに感じる。
このように煩悩にまみれて生きている、そして時間は進んでいる。
リタイヤした時に、死ぬまでにやりたい事は全て実行したいと思って生きている。
死ぬまでの時間の使い方を煩悩に任せて生きているようである。
還暦を迎えた頃から、智を得るために瞑想も始めたし、禅も私なりに学んでいる。自ずと仏教、宗教、そして哲学も学んでいる。
62歳の今は智の姿は朧気ながら見えてきた気がする。
しかし、頭の中の煩悩は消える事がなく湧いてくる。
弘法大師に言うところの同行二人で生きている。智を求めて、煩悩にまみれて生きて散っていく。
今日は、梅の花の侘び寂びを学んだよ!
今日も生きてる。