Una strada

YAMAHA XTが大好き❣️ 元空

バイクに宿るもの

アイヌは狩猟採取民族で文字を持たなかったらしい、自然崇拝で森の神、動物の体を借りて神が彼らの住む世界に降りてくるとされていた。
森の恵みから作られた道具にも神が宿っている。全ての物に神が居るという事だろう!

仏教、キリスト教など神を限定する宗教とは違い神の存在を寛容な視点で見ていて、私は自然崇拝が好きである。

日本では仏教伝来に際してそれまでの神道との融合から、世界的に見た場合には宗教的には寛容である。
しかし、文明を維持する場合には自然崇拝は都合が悪い!

それは相反する価値観が存在し、自然を壊す事で発展する科学がそこにある。

生命を操作する科学技術が発表されてから、キリスト教生命倫理の観点から科学技術を警戒して居るが、自然崇拝からすれば科学技術はもっと広く警戒する必要があった。

この炎天下に額に汗をかいて1981年型のバイクのリアサスを交換、タコメーターの効果をしていて感じるのは、このバイクにも神が宿っていて、各部品にも神が宿っていたと思った。

リアサスは長年の使用で窒素ガスが抜けて寿命を迎えた。タコメーターは機械式なので歯車の劣化で寿命を迎えた。パッキンの寿命、歯車の寿命により本来の性能は低下した。

各部品に感謝しながら交換作業した。
部品に宿った神を送りだす気持ちである!

交換部品により1981年型のXT250は軽快に走る事が出来てバイクに神は宿り続けている。

こうなると物であるバイクはある種の生命体と感じられ、長い月日を生きてきた友人のようである。

今日も生きてる!