年齢を重ねて思うことがある。これは私は若い時には感じなかった事とも言える!
夏になると原爆の日、終戦記念日と過去の戦争を考える機会が訪れる。
小学生の頃は戦争と原爆に対して何も感じていなかった、
逆に戦闘機や戦車、戦艦のプラモデル
を作るのが好きだった。ドイツ軍のメッサーシュミット、ロンメル戦車を組み立てた!
秋田に住んでいた祖父が戦争でフィリピンに行っていたらしいが戦争の話は詳しく聞いたことがない。
中学、高校と成長しても、歴史の時間で日本が関与した戦争を習ったが、
対戦国と年号を授業で聞いた程度で勉強が苦手な私は興味を持つことは無かった。
この時期に広島、長崎に暮らしていたら違っていたかもしれない。
社会人になって、ベルリンの壁が崩壊したり、天安門事件をニュースで見て、社会主義と民主主義を理解した。
プラモデルで作ったドイツの戦車は悍ましい戦争の兵器であり、
戦争の過ちでドイツは永らく民族は分断されていた事を知った。
同様に大戦後の混乱で朝鮮戦争で朝鮮国も分断したことも!
米国人、中国人、ドイツ人、韓国人の同僚と働き戦争や思想に関して会話はしないが、
幼い頃の話題では日本との違いが感じとれた。
アメリカのマンハッタン計画で放射線の細胞異常を解析するために、細胞解析装置は進歩したと言われている。
仕事として細胞解析装置、関連する試薬を開発販売していたので広島放射線影響研究所を訪ねたことがある。
この施設にはトラックの搬入口があり、米軍が放射線の影響を調査するために被爆者をトラック
で運び入れていたと知らされた。
先の戦争で日本は原子爆弾が使用された唯一の国であり、多くの国民が苦しんでいる事を理解できた。
人間が兵器を開発して、お互いに殺しあう戦争は二度と行ってはいけないと日本人なら理解できる。
理解できるのは日本人だけだと思う。
この歳にして戦争と原爆を自分なりに考えを持ち、判断できる。若い時に、
もう少し理解できたら出来ることがあったと後悔している。
今日も生きてる。